昔、「前略プロフィール」というサービスがブームになり、みんな利用していた。
小さなホームページをガラケーで作り、運営していた。
その名の通り自分を紹介するサイトなのだけど、そこには日記ページだったり、ゲストブックだったり、秘密のページだったり、友達のサイトへのリンクだったりが貼ってあったりして、さながらその人の部屋、城、もしくは小さな避難所やユートピアのような趣があったと思う。
私はやってなかった。ROM専の自負があった。
自分の城をわざわざネット上に作り、不特定多数の人にそれを公開するなんてとてもできないと思った。
そんなの恥ずかしいよー、何を書いたらいいかわかんないし…というピュアな気持ちからではない。
そんなこと軽率にやるなんて、バカなんじゃないの?と思っていた。
仲良い友達もやってたし、そこまで意識的ではなかった。でも、私のスタンスは一貫して「そういう事をしている人たちをうっすらバカにする」ものだったと思う。
ネット上に自分の日常や感情を吐露するなんて、屈託がなさすぎではないか?
私は、やらないくせにめちゃくちゃ人のは見てたので
いじめで転校した同級生がどの高校に入ったかも知っていたし
話したこともない同学年の男子がいつ彼女に振られたかも知っていたし
クラスのギャルが昨夜見た夢の内容まで知っていた。
自分も、「前略プロフ」を作成したら同じようなことになる。
やばすぎ。
みんな、そんなことも分からず呑気にサイト運営してるなんて、ほんとバカだよな…。
と思っていた。
でも、今は違う考え方をしている。
皆、こんなにも「見られている」ことは、何処かで承知の上だったんじゃないだろうか。
むしろ、見て欲しかったんじゃないだろうか。
話したこともない誰かに、自分の日常を知らしめたかったんじゃないだろうか。
「知られたい気持ち」が「知られる恐怖」を上回ったから、みんな勇気と情熱を携えてテンキー入力をしていたんじゃないだろうか。
そして思う。それってすごい尊い気持ちだよなと。
(「推し」と呼ばれる存在の良さを示す「尊い」ではなく、文字通りの「尊い」という意味です)
一方の私、
前略プロフくらい、やっとけよ…。
でっけえ黒歴史、つくっとけよ…。
私にだって、「知られたい気持ち」はあったと思う。
私は結局、「知られる恐怖」に勝てなかった、臆病者に過ぎないのだ…。
ネット上で自分を気持ちよく吐き出せたことがない。いつでもいいカッコしたい気持ちがあるせいで、文章をこねくり回してしまうし、結局「投稿」できないことばかりだ。
最近つくった趣味用Twitterアカウントだって、そうだ。
日常のことを屈託なく話す人ほど、友達の輪を広げ、趣味を謳歌している。
私の場合は「このアカウントは趣味用なんだから、関係ない日常のツイートなんてすべきじゃないよな。そんなの誰も興味ないし」と思ってしまって、ツイートが少ない。なんか内容が堅い。
ブログやってた時もmixiやってた時もnoteも、全部そんな感じ。
でも、本当は自分のことを知ってほしい。
誰かの日常で私の脳をいっぱいにしてる場合ではない。私の絵や言葉で誰かの脳をいっぱいにしたかった。本当はずっとそう思っていた。
私は今年30歳になった。
30歳にして、ようやく自分をネット上で吐き出すリハビリを始めようとしている。
だから、このサイトでは、下手くそすぎる絵、どうでもいい日記も、積極的にあげたい。私の城だ。
それが、このホームページを作った経緯です。
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