(本文中、小説の内容について書いてます)
ずっと前、資生堂「花椿」に「心が高地にある男」という小説が付録としてついていました。
それが面白かったためその書き手「サローヤン」の短編集を購入しました。
この封筒に冊子が入っていました。冊子は紛失してておい…と思いました。
「心が高地にある男」が、どう面白かったのかと言うと…数少ない「アメリカ文学を読んだ経験」特有の「感じ」がいいなーと感じました。
具体的に言うとちょっとドライで、寂しい感じです。自分的にはベン・シャーンの絵の雰囲気っぽいです。
文学に詳しいわけではなく正直ただそれがいいな…と思っただけで、今となっては物語の内容もあまり覚えていませんけども…。
あと「心が高地にある男」ってタイトルがいいなと思っていたら、昔の訳版では「我が心高地にあり」というタイトルだったようです。え、絶対に「心が高地にある男」の方が読みたい…。と思いました。
正直「我が心高地にあり」だったらこんな楽しく読んでない気がします。そのため、訳者がおなじ柴田元幸さんであることも重要でした。
今回読んだものは「アラム」という男の子と家族、学校の友達にまつわる短編集なのですが、想像してたより牧歌的かつおもしろポイントが多く、
声をあげて笑ってしまうことも何回かありました。
サーカスが街にやってきた話での校長先生とアラムたちのやりとりとか、
聖歌隊で絶対歌いたくないアラムたちvs聖歌隊に絶対にいれさせたい婦人とかです。
一方で、「農業をするにはあまりに詩人すぎる」メリクおじさんの話はすごく笑ってしまうのに、
おじさんを抱きしめたい気持ちにもなりました。
という感じで意図からは外れはしたものの楽しく読んでいたのですが、
冒頭にあげた「感じ」を急に発見しました。
終盤の短編「哀れな、燃えるアラブ人」の中で
伯父さんの友人で、アラブからアメリカへ亡命してきた人が登場します。
(ていうか、アラム一家もそうなんですけど)
その人はついぞ、祖国に帰ることなくアメリカで死ぬのですが
「その人なんで死んだの?」と率直に聞いてしまうアラムに対して、伯父さんがキレつつも
「わしはこの子を心底愛している。この子はアメリカ人だ。この子はここで生まれた。きっと立派な人間になるだろうな」
「わしらはみんな哀れな、燃える孤児なんだ。この子以外は」と言います。
この場面で急にその「感じ」を感じて、おお…!となりました。
しかも、その「感じ」がより具体的に「郷愁」という言葉で表されました。
郷愁…。
この短編集、冒頭で「アルメニア系のアラムとその家族たちについての話です」と書かれており、
最初読んだときは「ふーん」という感じだったのですが、
祖国にやむを得ない理由でいられなくなってしまった家族、民族の物語であることの重要さにここで気付きました。
自分は先祖代々日本でしか住んだことない(たぶん)ので気づきにくい感情ですが、
この本を通して少しだけどそういった人々の物語にふれられてよかった…です。
(そういう親世代の背景もありつつ、アラム自体は
牧歌的にアメリカを生きてることも含めて読めてよかった)
体験したことないのに郷愁に共感できるのは、
少なからずみんなそういった経験はしてるからなんだろうなと思います。
例:進学や就職で地方から東京に出る、自分の住むところが都市開発でめっちゃ景観がかわる…とか
私の家も最近、誰も住まなくなったおじいちゃんちを取り壊しました。
アラム一家ほどの郷愁じゃないかもしれないけど、「ふるさと」的なところを失う感じはありました。
以上、感想でした。
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